お笑い芸人のおばあちゃんは、なぜ芸人に?病気〜吉本所属までの経歴

 

 

吉本興業所属のピン芸人に
おばあちゃん』という芸人さんが
いらっしゃいます。

 

なんとご年齢が77歳

芸名もそのまま『おばあちゃん』

 

吉本の舞台を中心に活躍している
そんなおばあちゃんですが
最近はテレビで見かけることも
多くなってきて

 

フジテレビのネタ番組『千鳥のクセスゴ!』にも
同じく芸人の『しゅんしゅんクリニックP』さんと共に
医者とおばあちゃん』というユニットで
出演されていました。

 

M-1グランプリに出場したお笑いユニット『医者とおばあちゃん』の写真
出典:M-1グランプリ公式サイト

 

 

同じく『クセスゴ!』には
ダイエットに成功した
『尼神インター』の誠子さんも
出演されてましたね。

関連記事

 吉本興業所属で、お笑い芸人の尼神インター誠子さん。20キロの減量に成功しおしゃれに変貌した。というウワサを聞きつけ インスタグラムを、拝見しました。 […]

 

 

おばあちゃんが芸人になったのは
5年前の72歳の頃

 

お笑いの世界で5年目というと
まだまだ若手ですが

実力が全ての舞台で
活躍しているということは

お笑い芸人としての
実力も申し分なしで

同じ舞台に出ている
先輩芸人からも、愛される存在だそうです。

 

 

 

そんなピン芸人のおばあちゃんを
テレビで見ていると

ひとつの大きな疑問が湧いてきます。

 

なぜ芸人になったのだろう?

 

そんなわけで
この記事では、ピン芸人おばあちゃんが
なぜ芸人を志すようになったのかを
深掘りし、ご紹介します。

 

過去にはがんと闘った経験もあり
72歳で芸人デビュー

そんなおばあちゃんの
これまでの経歴を、紐解いていきましょう!

 

スポンサーリンク

ピン芸人『おばあちゃん』のプロフィール

 

お笑い芸人『おばあちゃん』の宣材写真
出典:吉本興業

 

おばあちゃん

 

本名:沖原タツヨ

生年月日:1947年2月12日

出身地:東京都国分寺市

身長:155cm

血液型:O型

趣味:近場の温泉に行くこと

入社:東京NSC24期

 

1947年生まれで
現在(2024年3月)77歳です。

 

1947年はどんな年か調べてみたところ
日本国憲法が施行され

日本国憲法下で初めての選挙が
行われた年だそうです。

全然ピンときませんでした…。

 

 

 

おばあちゃんは東京NSCの24期生
ということで、同期はというと
金魚番長』や『そのこ』など。

ごめんなさい。
これまた存じ上げず、ピンとこない…。

 

1期前の23期には
M-1グランプリ2023年王者の『令和ロマン』や
M-1グランプリを始め数々の賞レースで
実績のある『ヨネダ2000』が在籍していました。

 

お笑い芸人『令和ロマン』の宣材写真
出典:吉本興業

 

お笑い芸人『ヨネダ2000』の宣材写真
出典:吉本興業

 

 

東京NSC24期生をよく存じ上げないのも
総じて、まだまだ若手である
ということでしょう。

これからの活躍が楽しみです。

 

スポンサーリンク

 

ピン芸人『おばあちゃん』の経歴

 

おばあちゃんは東京都の国分寺市にて
四人兄弟の第2子として生まれました。

 

中学卒業後は
進学を希望していたそうですが
親から反対され就職することになります

 

戦後の貧しい時代で、いわゆる
男尊女卑の意識が強く残っており

お母さんから「女に学問は必要ない」と言われ
反対されていたそうです。

 

本を読もうとすると
電気代がもったいないからと
電気を消されるような環境だったと
振り返っていました。

 

1947年の銀座通り
1947年(昭和22年)の銀座通りの写真
出典:ジャパンアーカイブズ

 

造船所の設計部に就職しながらも
学問の道を諦めきれず

お金を貯めて、通信制高校に通い
短期大学を卒業します。

 

20代で結婚し
38歳の時に乳がんが発覚
それもステージ4でした。

後々、卵巣や子宮への転移も
見つかったが闘病の末
がんを克服したそうです。

 

手術後の人工胸周りの
皮膚のただれや痒みなどの悩みから

放送大学に入り
会社勤めをしながら研究して

乳がん手術後の発汗と下着について
という卒業論文をまとめました。

卒業後も指導教授らと共に
研究を発表するなどしています。

 

がんを克服し、多くの人も同じ悩みを
持っているだろうと研究を発表し
社会貢献、課題解決に向かう姿は
みんなが真似できない
本当にすごいことだと感じました。

 

 

64歳で会社を退職
中学生時代は演劇部だったことから

高齢者劇団に出会い
芝居のことを学びたいと見つけたのが
吉本総合芸能学院(NSC)だったそうです。

 

スポンサーリンク

 

なぜ芸人になった?

 

おばあちゃんが芸人になった理由
それは、これまで経歴でご説明したように

舞台の勉強のため見つけた学校が
NSCであったこと

昔から、ユーモアのあるお父さんの影響で
笑いの絶えない家庭であったことから

戦後の貧しい時代でも
人を笑わせる仕事に憧れがあったから

NSCでそのまま芸人の道を
歩んで行くんですね。

 

東京NSCでは
72歳での入学は歴代最高齢だったそう。

 

ちなみに芸名の『おばあちゃん』の由来は
芸名を考える授業で
悩んでいたところ

教室の後ろから
おばあちゃんでいいんじゃない?
という声が聞こえ

みんなも賛同してくれたから
そのまま『おばあちゃん』になったそうです。

 

 

ピン芸人『おばあちゃん』はどんな芸人?

 

おばあちゃんの芸風は
高齢者をネタにした
自嘲風の川柳を使ったネタ

 

つかみのネタとして
「私がマイクに触ると
点滴に見えるでしょうが、マイクなんです」
というネタが有名です。

 

お笑い芸人『おばあちゃん』の写真
出典:東京新聞

 

川柳を持っていくのは
オチを忘れがちだった中

作家さんから
「短冊に川柳を書いて持っていれば忘れないんじゃない?」

とアドバイスをもらい
川柳ネタができたそうです。

 

スポンサーリンク

 

まとめと『おばあちゃん』のお言葉

 

いかがだったでしょうか。

この記事では
ピン芸人である『おばあちゃん』の経歴
芸人になった理由をご紹介しました。

 

 

戦後の貧しい時代に
ユーモアのあるお父さんの影響で
笑いの絶えない家庭に生まれ

お母さんからは
「学問を学ぶことは必要ない」
と言われながらも、学ぶことを諦めず

大きな病気(乳がんステージ4)も経験する。

 

一見すると、波瀾万丈な人生ですが
それでも人を笑わせる仕事を諦めず

72歳にして、お笑いの門を叩く

 

そんな『おばあちゃん』は
インタビューでこのように答えています。

本当にやりたいことなら、いくつになったってできるでしょ。

貧乏だ、病気だ、年だ、時代だって言い訳したって仕方がない。

これまで生かしてもらったことに感謝しながら
生きてる今を楽しみたい。笑うチャンスを逃さないで。

引用:東京新聞

おばあちゃんのこれまでの人生を
知った上で聞くと、説得力が違います。

 

筆者自身も
「本当にやりたいことはなんだろう?」
そして「それに言い訳はしてないだろうか?」
と内省いたしました。

 

まだまだ芸歴5年目の若手
これからどんどんと
舞台やテレビで活躍されることを期待しています。

 

追伸

冒頭にも書きましたが
『尼神インター』誠子さんの記事も
ご紹介しておきますね。

お笑い芸人『尼神インター』の誠子さんの写真
出典:telling

関連記事

 吉本興業所属で、お笑い芸人の尼神インター誠子さん。20キロの減量に成功しおしゃれに変貌した。というウワサを聞きつけ インスタグラムを、拝見しました。 […]

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた。